エピローグ


 愛とは、一体なんだろう。世の中に愛という言葉が氾濫している。流行歌や小説の類は、愛という言葉のないものを捜す方が難しいくらいだ。そのくせ、愛という言葉の意味ほど曖昧なものはない。

 それに、愛というと、どうも、ドロドロとした愛憎劇やショッキングな話の方を現代人は好むようだ。だから、愛というと、生臭い話の方が多くなる。ピュアな愛、純愛なんて、今日日(きょうび)流行らない。変態的な愛の方がトレンドだ。

 だから、愛と言えば憎しみや葛藤を思い浮かべ。純粋な愛など存在しないと曰う(のたまう)人の方が多くなっている。まあ、それでも大概は、心のどこかで純粋な愛を求めているのだろうけどね。

 愛は戦いだと誰かが言っていた。確かに、そう言う側面はある。しかし、争い、抗う(あらがう)ことばかりを強調したら、愛というのは、抗い背く(そむく)ことだと真に受ける者が出てこないとはかぎらない。どうも、最近は、愛なんてと。愛の真実を信じない人間が増えてきているように思える。これは、退廃だ。ひねくれている。

 愛というのは、本来純なものである。純粋な想いである。人と人とを争わせるものではない。人の心を一つにするもの。人と人の身体と心を一体にする力、それが愛だ。人と人とを引き離し、引き裂き、背かせ、憎む合わせる力ではない。

 なぜ、愛の力を信じられないのだろう。愛の力を信じる事ができないからと言って愛を汚すこともあるまい。愛は、現実。幻想ではない。だからこそ、愛には、偉大な力が隠されている。

 結局、自分が人を愛せない理由は、自分が傷つくことを怖れているからだ。だからといって、愛を薄汚いものにする必要はない。自分の弱さを隠すために、愛を汚すことはない。

 本当の事、言って。現代人は、愛が嫌いなんじゃないかな。それとも諦めているのか。絶望しているかだ。だって愛を信じないんだから。どこかで、心に鎧を着せて、心を開かない。無防備な自分を極端に怖がっている。それでは、人を愛する事はできない。傷つくことを怖れていては、人を愛する事はかなわない。

 現代日本人は、あまりに、自虐的だ。この世の罪を一人で引き受けているような、何もかもが、日本人が悪いようなそんな思いこみに囚われているようにすら見える。自虐的でいられるだけましだ。他の国へ行ったら自虐的な態度をとっただけで食い潰されてしまう。自虐は、自愛の対極にある。自愛といってもナルシシズムとは違う。自分を大切にし、自分を生かす者に感謝する心である。

 愛は、自信を与えてくれる。人は、愛する事によって自分が生きていることの意味を自覚し、生きていく目的や喜びを知る。自信をなくさせ、生きる喜びを奪うようなものを愛とは呼ばない。

 自分を愛し、人を愛し、国を愛し、世界・人類を愛す。それは、一つの心だ。一つの愛だ。その一つの心、一つの愛を分かち、争わせるのは誰だ。自分を愛する心、人を愛する心、国を愛する心、世界を愛する心は同じだ。別はない。ならば、自分の幸せを追い求めることは、他人を愛する心であり。他人を幸せを願う心が、国を発展させ、よくすることになり。国を発展させ良くすることは、世界和平和にすることなのである。
 修身・斉家・治国・平天下。身を修め。人を愛し。国を治め。世界を平和にする。全ては、自分の身を修めることから始まる。身を修めることは、自愛である。
 愛は、世界・人類を救う。愛は、自分を救う。愛こそ全て。

 人類の存在が護れなければ、国を守ることはできない。国を守ることができなければ、会社も生活も守ることはできない。職場を護れなければ家族を養うことができない。家族を護れなければ、自分を護ることはできない。自分を護ることすらできなければ、家族を守ることはできない。家族を守ることができなければ、仕事をすることができない。仕事をしなければ、家族を守ることができない者に国は護れない。国を守ることができなければ世界平和は保てない。国を守ることは、自分を護ることであり。自分を護ることは、世界平和を実現する事である。

 道徳であろうと。平和であろうと。国家であろうと。誇り、名誉であろうと。自分の命・健康であろうと。自分の家族・生活であろうと。愛であろうと。守ろうとする者がいないものは、守りきることはできない。

 たとえ、どんなに傷つき、絶望したとしても、愛する心さえ在れば、人は立ち直ることができる。傷つき倒れ、夢破れたとしても、愛の力によってまた立ち上がり、前進しよう。それこそが神の栄光。人類の救済。






          


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