最近、部下の結婚式に出席して気がついた。幸せとは、実感だなという事である。
嗚呼、幸せだと感じたときが幸せなのだ。そう思った。
結婚は、楽をするためにするものではない。結婚をするとかえって苦労も負担も増える。経済的に考えれば、結婚することは圧倒的に不利だ。
今の時代は、家に仕送りをする必要もないうえに、独身時代は、給料をまるまる小遣いとして使える。子育ての苦労もない。男も女も、こんな気楽な生活はない。
結婚したら、気儘な時間もなくなり、勝手に美味しい物を食べたり、買い物をしたりすることも出来なくなる。寂しくなったら、相手をしてくれる人だって事欠かない。なのに、なぜ、結婚をする必要があるのか。
結婚をしたら、自分の城も侵略されるし、お金だって自由にならない。使える金は、月の小遣いの範囲に留められてしまう。煙草銭にも事欠くようになる。自分の時間だって持てなくなる。挙げ句、子供が産まれれば、愛情だって子供に注がれるようになる。何のために、結婚をするのか。
それは、幸せになるためである。
幸せというのは、苦労や負担が増えるからこそ実感できるのである。幸せとはそういうものなのである。苦労や負担こそが人と人との絆を強める元なのである。それが解らなければ幸せにはなれない。
幸せというのは、楽することにはない。快楽でもない。自分以外の何者かのために苦労することによって得られるのである。生き甲斐なのである。喜びなのである。
だからこそ、幸せは実感なのである。
失うことを恐れていては何も得ることは出来ない。
愛とは、そういうものである。
幸せとは、そういうものである。
別れとは、いつか来るものである。
だから、別れを恐れていたら愛を得ることも、幸せになることも出来ない。
嗚呼この人と一緒に苦労をしてみたい。
嗚呼この人のためならば、どんな苦労も厭わない。耐えられる、そう思った時が、結婚を決意する時である。
どんな豪邸に住もうと、王侯貴族の生活をしようと不幸せな者は不幸せなのである。
反対に、貧しくとも幸せな者は数多くいる。
金で幸せは買える物ではない。幸せは、一人でなれるものでもない。
幸せは、人と人との出逢いに始まり、互いの努力によって築かれていく感情の中である。 嗚呼、幸せだなと感じた時、処にこそ幸せはあるのである。
結婚式で幸せそうな二人の写真を見て、しみじみと幸せというのは実感なんだと気がついた。