近頃、集まりがあると、必ずと言っていいほど危機という言葉が使われています。
確かに、いろいろな意味で危機的な状況にあるといえます。
ただ、私は、今の危機は、今までの危機とは、違う何かもっと根本的な要素あるように思えます。
日米問題や景気の問題どれをとって、かつてないような難問が山積しています。
しかし、この様な危機というのは、何も今に始まったことではありません。
今までにも深刻な危機が沢山ありました。しかし、我々はその危機を団結して乗り切り。
今まで何とかやってきたのです。少なくとも何とか危機を脱しようとする気力が湧いてきた。
しかし、今の危機には、前向きになろうとする気力を萎えさせてしまう何ものかがある。
今の危機には、これまでの危機とは違う得体の知れない不気味さがある。
環境や状況からいっても現代の方が、創業時に比べてずっと恵まれている。
なのに、今の危機には、いい知れない怖さがある。
私は、今の危機というのは、
物や金ばかりを重んじて人間を忘れた事による危機だと思うのです。
僕らの子供の頃は本当に何もなかった。食べる物も着る物、今のように豊富ではなかった。
でも、怖いと思ったことはありません。
なぜならば、自分の身の回りにいる人々が助け合って生きていたからです。
米がなければ、米を分けてもらい。醤油がなければ、お互い様と貸してくれた。
お世話様、お陰様と声を掛け合った。
自分の服は、皆、誰かのお古でした。靴下もつぎはぎだらけ。
でも貧しいなんて感じる事はなかった。
肩を寄せ合い助け合いながら生きてきたのです。
働きにくる者も、食うや食わずでその日の寝る場所にも事欠く有様です。
だから、住み込みで働いている者が、ずっと我が家には居ました。
姉が結婚するとき、我が家には一家団欒がなかったとこぼしていたほどです。
実際、父も、母も、他人の世話ばかりやいて、僕らの方まで手が回らなかった。
でも、不思議と寂しいという思いはありませんでした。
なぜならば、働いている人達が皆で僕らの世話をやいていてくれていたからです。
今、景気が上向いてきたと言われます。
それは、人を辞めさせて人件費を浮かし、企業業績が向上してきたからです。
かつて松下は、苦境に陥った時、従業員を一人も辞めさせないと宣言し、
その心意気に働く者が感じて今日の松下の礎を築きました。
日産は、鍋釜を作ってでも復員してくる者の受け皿を用意した。
それが今日の日本を築いたのです。
先日、NHKが無縁社会と言う特集をやっていました。
2030年には、男性の三人に一人、女性の四人に一人が生涯未婚になるという予測を立てています。
番組の中で30代の若い女性が私は、きっと無縁死すると決め込んでいる。
孤独死した人の留守電に
孤独死したことを知らぬ郷里の姉から安否を問い掛ける伝言が何度も何度も録音されている。
父親が死んだというのに、
書類一通送っただけで遺品を取りに来ようともしない息子の話。
年老いた婦人が、私が死んだら白骨になるまで誰も気がついてくれないのではないのかと心配をしている。
縁者が居ない高齢者が共同で墓を設置する計画が進んでいる。その共同墓に子供が居るのに、子供の世話になりたくないと申し込む者までいる。
我々は本当に豊かになったのでしょうか。
行政も高級な老人ホームを造ればいいと思い込んでいるのではないのか。
いくら金があって、高級な建物に住めたとしても、誰一人尋ねてくる人もいないとしたら、それを幸せというのでしょうか。
私は、ここに居る人々が危機に際し、結束して事に当たれるのならば、怖れるものは何もないと思っています。
社員にも言いました。
俺の理想は、死ぬ時、無一物になっても、皆が集まってこれる場所を確保する事だと。
今我々は、人としての絆を取り戻さなければなりません。
物や金ではなく。
人と人との繋がりこそが危機を乗り越えさせる原動力なのです。
それを忘れたことが現代の危機の根底にあるのです。
私は、皆さまに言いたい。
伴に生き。伴に死のうと。
呉越同舟という言葉があります。
嵐に遭えば仇同士でも助け合うと・・・。
なぜ、同じ日本に生まれた者達が、危機にあって助け合おうともしないのか。
隣人が困っている時に、醤油一瓶貸そうともしないのか。手をさしのべようともしないのか。
そこに私は、底知れない闇を見るのです。
私は、その闇を覗いた瞬間、背筋の寒くなるような恐怖感を覚えました。
無縁社会の特集の中で、若い女の子が段々に親兄弟から疎遠になる。そして、最後には、無縁になる。その理由が、親に心配をかけたくない。迷惑をかけたくない。世話になりたくない。
なんて情けない話でしょう。
結婚もしないで一人、都会で生活している娘を心配しない親が居るでしょうか。
世話になりたくないという言葉ほど無慈悲な言葉はない。
それはあなたを必要としていないと言うのと同じ事です。
あなたの世話を見たくないと言うのと同じです。
私は、日本人です。
義理も人情もない世界には住みたくありません。
なぜ、心配をかけようとはしないのです。なぜ、迷惑をかけようとしないのです。なぜ、世話になろうとしないのです。
なぜ、そこまで意固地になる必要があるのです。
皆さん、伴に生きましょう。
今一度、我々の絆を確かめ合いましょう。